【 1930年代 ニューディール政策の中で生まれたワークウエア 】
フランクリン・ルーズベルト大統領は、世界恐慌後1930年代初頭に市民保全隊(CCC)や雇用促進局(WPA)といった緊急救済機関を創設した。
当時25%の失業率に苦しむ国民を救うため、資格のある失業者に仕事を与えるだけでなく、国の環境、農業、社会問題を緩和するために結成したのである。
「CCC」についてはこれまでに触れたが、18歳から25歳までの失業した青少年のためのプログラムで「Tree Army」の異名通り、軍隊に自然に関心を持たせる目的も兼ねていた。
これに対して「WPA」は、対象となった労働者の平均年齢は40歳。彼らは新しい校舎を建設し、新しい病院を建て、雨水排水管と下水管を敷設し、新しい橋を架け、新しい飛行場を建設し、道路を舗装または修理し、ダストボウル中の表土の損失を軽減するために2,400万本の木を植えた。
1941年12月の真珠湾攻撃の後、多くのアメリカ人が第二次世界大戦に派遣され、武器の製造や祖国での戦争支援を求められた。この需要とWPAのおかげで、失業率は改善され、1942年12月にルーズベルトはWPAはもはや必要ではないと述べ、廃止を要求した。
この大規模なプログラムのなかでは、主に女性を中心に、労働に従事するブルーカラーのワークウエアが製造された。
それは「SEWING ROOM」と呼ばれる縫製室で作られ、その衣料には「Made by W.P.A SEWING ROOMS, NOT TO BE SOLD」(雇用促進局縫製室製品、売り物に非ず)と記載されたタグが付けられた。
縫製室のあったテキサスの州では、裁縫師たちは自分の仕事に大きな誇りを持ち、「W.P.A」のイニシャルは「We Patch Anything」(なんでも縫う)の略であると宣言。
彼女たちは古着を修理し、新しい衣服を作り、困窮している人々や「WPA」の労働者、つまり彼女たち自身が着用した。
そんな「WPA」の衣料は、デザインと縫製仕様が実に興味深い。デザインのベースはミリタリーワークウエアで、多くのアレンジが施されていること。
縫製仕様は当時ワークウエアで主流だった「還縫い」はなく、「本縫い」のみで作られていること。
このためユニークなデニムのワークウエアが存在し、アメリカではCCCを凌ぐ勢いでコレクターが増加中。
激動の時代のアメリカーナの不屈の精神が宿った衣料品なのだ。
●カラー:インディゴ
●サイズ:38、40
●仕上げ:ノンウォッシュ
●素材:綿100%
●仕様:8番×10番 セルヴィッチライトオンスデニム、オリジナルメタルボタン
●日本製
●品番:Lot 2216
サイズ(cm) | 38 | 40 |
着丈 | 70 | 72 |
肩幅 | 49 | 51 |
身幅 | 57 | 59 |
袖丈 | 64 | 66 |
※洗濯により下記の縮みが生じます。
着丈 -約1~2cm、肩幅 -約1~2cm、身幅 -約1~2cm、袖丈 -約1~2cm
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